INTP、5w4のブログ

mbtiとエニアグラムでそれぞれINTP、5w4の人間が趣味に関することや体験中の睡眠障害、閃いたアイデアについて記事にしています。

人間は常にそのとき考えられる最善の行動を取っている

例えば被災地に募金をするときあなたはどんな理由で募金していますか?

誰かの力になりたい
周囲から賞賛されたい
・周りに合わせて同じ行動をした

など人によって答えはいくつかの目的があったりで様々だと思います。

今回は上で上げた例の中でも誰かの力になりたいという種類の動機を中心に人間の行動における本質を深く掘り下げていこうと思います。

まず例で出した「被災地への募金」とはつまり、自らの財産(ここでは単純に考えるために金銭、もしくは金銭的価値に即還元できるものに限定)を削る行為としての側面を持っています。一般的にに考えてその側面はデメリットと考えることができます。

募金以外に自らの財産を削る行為をいくつか思い浮かべると
買い物 ・遊戯(賭博) ・投資 ・プレゼント
他にも色々あると思いますがこういったものがあると思います。

上記の例であげたプレゼントを除く他の行為は基本的に自らの財産を削った分、自らに何らかのものが返ってきます。
買い物=出した財産に値する物品、サービス等
遊戯(賭博)=遊戯体験、場合によっては削った財産以上の財産を手にする機会
投資=場合によっては削った財産以上の財産を手にする機会
おおまかに言うとこういったものが返ってくると考えられます。
これらのものを得ることが自らの財産を削るデメリットよりメリットに感じて人はお金を使います。自分の欲を満たすためにお金を使うわけですね。

しかしプレゼント募金は自らに対して物品やサービスや機会などが返ってくるわけではありません。帰ってくるものがあるとすればそれは感謝の言葉や態度です。基本的に自らが得る分かりやすいものは特にないと考えられます。

では何故人はプレゼント募金をするのかと考えてみると、やはりそれらをすることに財産を削るデメリット以上にメリットを感じているからと言えると思います。単純に考えると買い物や遊戯、投資などにお金を使う理屈と差はないですね。

更に深堀りすると、何故人はプレゼント募金をすることにメリットを感じるのかという疑問が出てきます。
この疑問は買い物や遊戯、投資の目的の本質を考えていくことで解明できると考えています。お金を出せば物品やサービスや機会を得ることができますが、果たしてお金を出す目的は本当にそのような即物的なものを得るためなのでしょうか?私は物品やサービスや機会を得るということは通過点(手段)に過ぎず、本当の目的は幸福(精神的メリット)を感じるためだと考えています。

物や機会が得られなくても精神的メリットを得ることはできます。
他者が喜ぶことを見て幸せに感じる人は多いと思いますが、これは精神的メリットを得ている最たる例だと考えられます。他人の幸福が自分の幸福というわけですね。

他人の幸福が自分の幸福となるなら、そのために財産を削るデメリットよりもメリットの方が大きくなると感じる場面は多くなると考えられます。
つまり、プレゼント募金とは財産を削るデメリットよりも他者に幸福にさせることのメリットが大きくなったから行える行為であると考えられるわけです。

プレゼント募金は一見すると誰かのためにという自己犠牲であるかのように見えますが、実は自らの幸福を追求しているという点で買い物や遊戯、投資などの金銭の使い方と変わらないということが言えます。

ここから一旦金銭の使い方に関する話から逸れます。
上記のことから今度は自己犠牲というものは存在しないということが考えられるようになりました。
どういうことかというと、精神的メリットを考慮することで全ての行動は自らの欲求を満たすための行為に他ならなくなるからです。
人間は物理的に不可能なこと以外は全ての行動を取ることができます。私の場合で考えると今すぐPCのモニターを叩き割るかキーボードを破壊するという選択肢や、素っ裸で叫びながら外出するという選択肢もあるわけです。では私は今そういった選択肢を取るのか聞かれれば答えはノーです。そういった行動をしても精神的なメリットは得られないし、デメリットとしてしか考えられないからです。逆に言えばやるメリットの方が大きくなればやります。
えっ?と思う人もいるかもしれませんが、頭が正常な人間であればみな同じようにメリットを取るということは否定できないと考えられます。犯罪を例に見ても、犯罪を犯すメリットが犯さないデメリットより大きくなった人がいるから発生するわけです(冷静ではない=頭が正常ではない人間は別)。

これらのことから、人間はみな精神的幸福を得るためにある意味好き勝手に行動していることが分かると思います。あなたの嫌いな職場の同僚もたまたま何に幸福を感じるかが違うだけで、根本的な行動の動機はあなた自身と同じなのです。
こう考えると他者との考えの違いや行動に対してイライラしたり怒ったりせずとも、
「まぁ自分も自分の幸福のために行動してるしお互い様か…。」と楽に受け流すことができるのではないかなと考えています。

理屈上は悪意に満ちた人と他者の幸福を願う人とでは根本的には大差ありませんが、私の気持ちとしては、できることなら他者の幸福を自分の幸福と感じられそのために行動できる人間の方が好きです。善悪の観点ではなくただの個人的な嗜好です。